大判例

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最高裁判所第一小法廷 昭和33年(オ)692号 判決

岡山県津山市川崎五七二番地

上告人

福井秀治

同所同番地

上告人

福井嘉子

同所同番地

上告人

福井良二

岡山県英田郡英田町鳥四三九番地

上告人

中瀬節子

右四名訴訟代理人弁護士

薬師寺一

水上孝正

広島市霞町

被上告人

広島国税局長

松井直行

右当事者間の所得税金額決定に対する取消請求事件について、広島高等裁判所が昭和三三年四月二四日に言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告申立があつた。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人弁護士薬師寺一、同水上孝正の上告理由第一点について。

本件は旧所得税法が適用される事件である。すなわち、本件係争の昭和二四年度分の所得金額又は所得税額の更正決定に対する不服申立の手続については旧法の規定によるべきものとされているからである(昭和二五年三月三一日法律七一号附則二二項参照)。従つて原判決が出訴期間につき新所得税法五一条二項を適用すべきものとしたのはあやまりである。しかして、旧所得税法の規定によれば、税務署長の更正決定(国税局長が自ら更正決定をしたときは同局長の更正決定)に対し異議あるものは一箇月内に国税局長に審査の請求ができ、この請求に対してなされた国税局長の審査決定に対しては訴願を提起し、又は裁判所に出訴することができるものとされており(旧所得税法四八条ないし五一条、同旧施行規則四七条四八条六五条ないし六七条参照)、訴願庁は国税局長の直近上級行政庁である国税庁長官であり(訴願法二条参照)訴願期間は六〇日(同法八条参照)、裁判所への出訴期間は審査決定のあつたことを知つた日から六箇月である(行政事件訴訟特例法五条参照)、そして所論再審査請求なる制度は旧法には存在しなかつたのである。そうだとすると本件国税局長の審査決定に対しては国税庁長官に訴願は許されたが、同局長に対し重ねて再審査を請求することは認められていなかつたのであり、従つて右再審査の請求を以てしては出訴期間の進行を阻止することができなかつたわけである。されば、上告人の昭和二四年度分の所得金額及び所得税額については、昭和二五年七月一三日付の審査決定が上告人に到達した日、すなわち同年同月二七日から六箇月の経過により、出訴期間は満了し、もはや訴訟によりこれを争うことのできない状態になつていたものと解するの外はない。この点に関し原判決は新所得税法を適用したかきんはあるが、その終局の判断は叙上と同趣旨に帰し正当である。なお、附言するが、昭和二七年一一月六日の誤びゆう訂正決定なるものが初めの昭和二五年七月一三日付の審査決定を取消して新たに審査決定をやり直した趣旨のものであるとすれば、この新たになされた決定に対し決定の日から六箇月以内出訴が許されるわけであるが、原判決の認定によれば前示昭和二七年一一月六日付の決定は初めの審査決定の誤びゆうを訂正し一部を取消した趣旨のものに過ぎないというのであるから、これにより一度徒過されていた出訴期間が改めて進行を開始するいわれのないことは原審の判断するとおりであり、また後になされた誤びゆう決定のみをとらえてその取消を求めることは訴の利益を欠くものであることも原審の判示するとおりである。

以上の次第で所論は違憲という点をも含めて(この点は前提を欠く)すべて理由がなく採用できない。

同第二点について。

しかし、原判決はその挙示の証拠によつて、本件課税は所論のいうように見込課税でなく、その内容に重大且つ明白なかしが存在するものとは認められないと判断しているのであり右証拠に照合すればその判断の過程に所論違法のかどあるを見出し難い。所論はひつきよう原審の事実認定並びに証拠の取捨選択に関する専権行使を非難するに帰するものであつて、採るを得ない。

よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 下飯坂潤夫 裁判官 齋藤悠 裁判官 入江俊郎 裁判官 高木常七)

○昭和三三年(オ)第六九二号

上告人 福井秀治

外三名

被上告人 広島国税局長

上告代理人薬師寺一、同水上孝正の上告理由

第一点 原判決は其理由に於て「第一先ず本案前の抗弁について判断する。

(一) 被告が原告に対する昭和二十四年分所得金額及び所得税額につきなした審査決定の取消を求める原告の出訴期間の徒過により不適法である(中略)右審査決定は昭和二十五年七月十三日になされ同月二十七日原告に通知されたことが認められ(中略)本訴が昭和二十八年二月十日に提起されたことが認められるから所得税法第五十条第二項所定の出訴期間を徒過していることは明かである。後記の如く後になされた誤びゆう修正の決定が右審査決定の一部取消であると考えられる以上、後に誤びゆう訂正の決定がなされたことにより右当初の審査決定に対する出訴期間が更めて進行を開始したとなすべき理由はない」と為すも、これは全く原審の独断で、こんな説明では独り上告人のみならず、何人も納得するはずがない、原判決は上告人の本件請求を玄関払いを喰らわして訴訟を片付ける巧妙な手段方法に外ならない、所得税法第五十一条二項に付再調査の請求若くは審査の請求の目的となる処分又は審査の決定の取消又は変更を求める訴は(中略)審査の決定に係る通知を受けた日から三ケ月以内に提起しなければならないと規定しあり、この法文は再調査の請求又は審査の目的とする処分の取消変更を求むる訴とは当然再調査と審査に所謂審査と再審査の二ツがある以上この二ツの申立てが上級官庁に対して為すことが出来る故、本件に付ては昭和二十五年七月十三日の審査決定に対しても、この審査決定に対する再審査の申立に対する審査決定に対しても各決定の通知を受けた日から三ケ月以内に出訴することが出来ると解することが当然でありまたこれでなければ意味がない。

再審査の請求は既に為されたる審査決定の取消変更を求むる請求でありこの請求は広島国税局に於て受理せられて居るもの既に受理した以上、この請求に対して何等かの決定を為すを要するに拘わらず其まま放任し握りつぶして提訴の機会を与えず、一面に於て再審査は受理した、原審査決定の内容は再検討した、然して誤りを発見した、よつて原審査決定の一部を取消しこの旨誤びゆう訂正の決定を為し、其旨を上告人に通知した、然しこれは再審査の請求に基いて為したもので無く被上告人が自発的に原審査決定の内容を再検討して為したに過ぎない、自発的に検討して誤びゆう訂正をしたもの故、昭和二十五年七月十三日付審査決定に対してのみ裁判所に出訴出来るものと原審は解するが如きも、広島国税局が再審査請求を認めて之を受理し、再検討して誤りを発見して訂正を為したことは再審査請求に対する決定と解すべきは当然のことで殊更それは広島国税局が自発的に為したものと言うが如きは不可解至極、何人も再審査の請求が受理された場合、これに対する決定を期待してその通告を待つて居ることは当然で、最初の審査決定に対して訴を提起する者は存在させるべし上告人は誤びゆう訂正という再審査請求後において漸く決定が到達した故、法第五十一条二項所定の期間内に訴を提起したもの、原審判示の如しとすれば上告人の広島国税局に対する再審査の請求は今日まで何等の処置も構ぜられぬまま、握りつぶし放置されてあり、一面訴の提起は期限は過ぎたでは上告人は再審査の決定も受けられず、訴の提起も出来ぬこととなる。こんな判断が許されるとすれば、国税局は出訴期間の経過を待つて常に自発的と言う訂正決定あるいは再審査に対しその他の決定を為して、上告人等は結局訴の提起は不可能となり、憲法第三十二条規定の裁判所において裁判を受ける権利を奪われることとなり原判決は民事訴訟法第三百四十九条の違反ともなる。

要之、上告人は広島国税局の為したる誤びゆう訂正決定、即ち再審査請求に対する決定に承服出来ないため、決定にあらず最初の審査決定を自発的に訂正したるものなりと、世にも不思議な解釈をして上告人の請求を退けたる事実を誤認し法の解釈適用を誤り遂に憲法定むるところの裁判所において裁判を受ける権利を奪いたる違法あるを以て、原判決は破毀せらるべきものと信ず。

第二点 原判決は「第二、次に本案につき考えてみる、原告は被告が本件審査決定をするにあたり何等の調査もせず所せん見込課税をしたものであるから無効である」旨主張するのでその当否について判断すると、冒頭説示して、然して、被上告人提出の証拠を列記して(一)(二)(三)項にわたつて被上告人の主張を全面的に採用し、上告人の申出たる証人の証言も書証も一切省みず、本件の審査は充分調査の上審査決定したもので見込課税ではないから右審査決定が無効である旨の確認を求める原告の請求は失当であるとして本件請求を棄却した、然して原審は、かかる、第一審の事実摘示と同一なりとしてこれを引用して居るが、この判決は審査不尽、事実誤認の違法あるもの、上告人より一々列挙して述べるまでもなく本件記録を御一読願うに於ては原審の事実認定が審理不尽の結果したること判明すべし。

本件は津山税務署が昭和二十四年分所得を決定するに当り、津山市内にある自転車商組合員全体の所得額を予め決定してこの金額を協議の上各組合員に適当に分割して申告すべき旨の通達あり、この通達を受けた組合では断ることも出来ず御請けして各自の割当を定めて申告したるものなるも、かかる津山税務署の所為は果して津山市内自転車商組合員の所得の総体で何程なるかも判明せざるまま所せん当時の一番コワイお役所、税務署という威力で総括的に割当額を決定、それに服従せしめたもので、このこと自体が既に見込課税で担当係員の頭の具合で如何様にも決定せられたもの、この見込割当に基いて組合側から提出せられた各組合員の分担部分も固より適正のものにあらざることは当然で所得がなくても総括割当は各自で負担せねば納まらぬためなり。

かくて上告人は昭和二十四年に於ては原審に提出しあり証拠によりて明かなる如く諸種の事情で色々の損失があり所得は零となるもの、然し、どうしても組合員間で分担する以外方法なきため、結局所得零の上告人は所得零と申告すべきを己むなく三十六万円の所得あるが如き虚偽の申告を為すことを承諾したるもの、その頃税務署のやり方所謂見込課税も圧制的なもので、このことは、ほとんど公知の事実でこのため各所に悲惨な事実が発生して居り人民は恨みのろつて居つたが反抗することも出来ない状態であり上告人も納得出来ない三十六万円の所得を己むなく、承認したもの、然してこの申告した所得額に対する税金は納入しこれで一切は終つたと思つて居つた処、意外にも津山税務署は上告人の二十四年の所得は五十五万円也と言う更正決定が昭和二十五年二月二十五日に通達せられたので、税務署の総括割当数、無い所得を三十六万円負担したこの上未だかかる処置に出られるのでは将来どんなことをされるかと前途にはなはだしい不安と怖れを覚え何かとこの辺で喰い止めねばと、上級官庁にある広島国税局に救助を求めるため法に定められたる審査請求を提出したもの、茲で事業の説明もし証拠書類も提示したこと故、上告人の所得なきこと、初めから見込割当の事実も判明して正当なる審査決定があるものと期待して居つた処、上告人の期待は裏切られ、何を審査したのか、津山税務署の更正決定を鵜のみにした五十五万円と言う審査決定が送達せられた。茲に於て上告人は広島国税局に出頭して再審査を請求したが、二ケ年数ケ月間何の音沙汰もなく握りつぶされ昭和二十七年十一月に至り漸く誤びゆう訂正決定が通達せられたるも、これ又わずか二万八千余円が減額されたに過ぎないものなり、元来上告人側の津山税務署に対する申告、それ自体が無を有であるという事実に反する無効なるに、それ以上に更正したその更正決定も又無効なものなれば、上級官庁なる広島国税局の審査決定も再審査による誤びゆう訂正決定も無効なものなるためその無効確認を求めたものなり然るに原審は前述したる如く色々調べたが、被上告人から出した証拠によると充分調査して決定したもので見込課税ではないと認定した、然しこの審理があまり不充分で、そのため事実の認定が誤つて居るから上告したもの、即ち、津山税務署が最初全体の自転車組合員の総体の二十四年の所得はこれだけと認めるからこの金額を組合員に適当に割当て申告せよと申付けそれに基き為したこと、その申告自体が虚偽のもの故若し津山税務署の更正決定を正当なものと言うためには先ず初めに見込認定と言うか、組合員全員に対する総括割当から取消すか撤回して改めて法規による各人の自由な申告を為さしめその上で間違つて居れば見込更正でなく完全な資料によつて更正を為すべきものかかることなく、本件訴が提訴されて後、税務官吏の服部賀寿男をして福田守、岡洋だのという昭和二十四年ごろの当時の係員から聴取書を作らせ服部の証言を正当化せしめた如き全く審理が不充分で、これ等のことは上告審で一応記録の御閲覧を願えば判明すべく、上告人先代福井幸吉は昭和三十二年一月二十八日死亡、生前本件こそ事実の真相を明かにし、不当課税を今明な納税の義務を負担したいとの念願から全力を傾注して居りたるもの、承継人たる上告人等は上告審において公正なる御判決を仰ぎ、この判決を故人の墓前に報告して、そのめい福を祈りたいため、本訴上告を提起したるもの何卒御審理の上適正なる御判決を希ふ次第であります。

以上

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